ある小さな町にある料理の名店「味の楽園」
しかし最近は、客足が遠のき売上が低迷。経営者であるわたしは頭を悩ませていた。お店を閉じたあとも、以前ならば家にまっすぐ帰って冷蔵庫に常備してある缶ビールを飲んで過ごしていたのに、最近は夜な夜な店のキッチンで新しいメニューを考える日々が続いていた。
一組の夫婦が店を出てから、店内はわたし一人でずっと静かだった。今日は早いがそろそろ店を閉めようかと外の様子を見に行くと、ひとりの見知らぬ男と目が合った。背丈は平均くらいで細身の眼鏡をかけている。どこかで見たことがあるような気がするが思い出せない。疲れているのか、年なのか、はたまたどちらもなのか。まあそんなのどうでもいい。
「あの、今日はもう終わりですか?」
そう尋ねられた瞬間、現実に戻ったような気がして肩をびくっとさせてしまった。
「ああいや・・・やってますよ。どうぞ」
「ありがとうございます」
頼まれた料理を運んだ。作っている間も、彼をどこで見たのか頭から離れなかった。しかし、キッチンへ戻ろうと背を向け足を動かそうとしたとき、先ほどまでのもやもやが突然ぱっと消えるように思い出した。口から声が出そうになるのを、慌てて抑えた。
彼は最近テレビでも取り上げられている少し話題になっている人物だ。彼は詩を愛する若者で、食べ物に詩的な感性を持ち、味覚の世界を言葉で表現する。その才能が支持され、彼が紹介したお店は翌日にはすぐ人が殺到し、売り上げが倍上がる。最近よく聞く”インフルエンサー”というやつだ。こんな人物が自分の店にも来たらと空想に浸りながらも、自分とは縁のない世界だ、と投げやりな気持ちでテレビを消したのだった。
「実は以前から来てみたかったんです、ここに。でも遠くて(笑)今日やっと来れました。こんなにも落ち着いた時間を過ごせてうれしいです。」
彼の言葉におそらく何も深い意味はないと思うが、今の私には少々この”落ち着いて”がちがった意味にも聞こえてしまい、少し笑ってしまった。
「それは良かった。でも、最近はお客さんも全然なんだ。だから店を早く閉じて新しいメニューを考えているんだけども、まったくうまくいかないんだよ」
「そうだったんですね」
彼はそう言うと、カバンから1冊のノートを取り出した。
「自分も最近うまくいかないことが多くて。そんなときにこんな世界があったらなと思って書いたんです。もし、良ければこの詩をテーマにメニューを作ってくれませんか?」
自分が彼にあんな悩みを言ってしまったのは、輝いている彼と自分は対照的なんだと自分に現実を突き詰めるためだったと思う。けれども、救いを求めるような思いで、あの日から彼と何度も話し合いメニュー開発を進めた。
そうして、新メニュー「詩の味覚コース」ができあがった。
彼の詩の世界観を見事に表現した料理は、彼の初プロデュース料理としてもたちまちSNSで話題になった。そして、彼のアイディアで、彼と私はSNSでこの特別なコースに「詩と味覚の調和キャンペーン」を展開した。そうして、店には久しぶりに人が集まり始め、料理を口にする者に感動をもたらした。
「味の楽園」は再び繁盛を迎え、彼らのコンビネーションが互いを救ったのだった。
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