Osaka Love Story 第一章

第一章：それぞれの道頓堀

道頓堀のネオンが水面に揺れる夜。川沿いの歩道を、川嶋誠人はひとり歩いていた。ビル群の灯りが川面に溶け、まるで夢のように幻想的な風景が広がっている。けれど、その美しさとは裏腹に、誠人の胸の内は重たかった。

脱サラして飲食店を始めると決めたのは、もう一年も前のこと。会社勤めで感じていた虚しさから逃れ、自分の手で何かを生み出したいという想いがあった。料理が好きで、いつかは自分の店を持ちたいと思っていた。道頓堀という大阪の心臓部で勝負することは無謀だと誰もが言った。でも、だからこそ誠人はこの街を選んだ。

物件はようやく見つかった。古びた長屋の一角、昭和の面影を残す店構え。そこに「川嶋食堂」の暖簾を掲げるのが夢だ。しかし、現実は厳しい。改装費は予想以上にかさみ、融資もまだ通っていない。人手も足りず、メニュー開発も難航中だ。

「ほんまに、俺にできるんやろか……」

誠人は川辺のベンチに腰を下ろし、小さく呟いた。スマホを取り出し、試作したメニューの写真を見返す。悪くない。でも、これだけじゃ誰の心も掴めない。そんな焦燥感だけが募る。

ふと、思い出す。6年前の夜のことだ。まだ会社勤めだった頃、出張の帰りに立ち寄ったこの街で、偶然入ったバー。そこで出会った女性──夢佳。名前すら不確かだったが、彼女の強気な言葉は今でも胸に残っている。

「アンタ、根性ないな。そんなんじゃ、何にも変わらへんで？」

初対面にも関わらず、まっすぐに本音をぶつけてきた。自信たっぷりな態度に戸惑いながらも、不思議と惹かれた。その夜だけの出会い。連絡先も知らず、次に会うこともないと思っていた。

「……なんで今になって思い出すんやろ」

ネオンに照らされた水面に、あのときの彼女の笑顔がふと浮かぶ。誠人は立ち上がり、もう一度前を向いた。夢を追うには遅すぎるかもしれない。けれど、この街が与えてくれる熱と喧騒に、自分の鼓動がまだ応えている限り、諦めるわけにはいかない。

彼はポケットからメモ帳を取り出し、ペンを走らせる。

──今日も一歩前へ進もう。

夢の始まりは、いつだって小さな決意からだった。